教師とか講師とか

去年から、社内教育の講師をやることがちょくちょくある。
先週も2日間ほど、その機会を得た。


今回ついに、受講生に同期が来た。
二十数人の受講生のなかの6〜7人が同期だった。
今回は特に急な代打だったので、会場となる研修室に入って初めて講師席に座る僕に気がつき、目を見開く同期の表情は僕に一層の緊張を与える。


僕は講師をやるときに、講義をしながら3つのプロセスを同時に処理するようにしている。


一つは、どのようにストーリーを組み立てていくか。
一つは、どの言葉を選ぶか。
一つは、今話したことがどう伝わったか。


で、これをやると定時を迎えたころには頭の中がヘロヘロになっていて、脳が蕩けそうになっている。
おまけに相手が同期だと、余計な緊張を強いられて、疲労は倍増する。


今日職場の飲み会があった。
「お前の教え方は上手い。」と僕の講義を聞いた職場の人たちが言った。
これは受講者アンケートからもわかるし、自分でもそう思う部分もある。
別にそれで天狗になるわけではないし、これはいいのだけれど上司の一言が問題だ。
「お前の講義には笑いがない。」これは今の僕の課題を如実に捕らえていると思う。
「わかりやすいけれど、まるで教師のようだ。」と。


きっと教師だって緊張と弛緩を巧みに操っているはずだから、それがないという事だろう。
自分でもわかってはいるけれど、難しい。
ゆるい部分出すと、際限なく緩みすぎちゃうし。
初対面の大方が年上の受講生相手に緩めて笑いをつくっていうのは…難易度高いです。
今度講師をするときは、起き掛けにビール一杯あおってから行こうかな。