今日は特別寒かった

namuzak2005-12-05

ファミリーマートの駐車場に頭から車をつっこんで、雨が降っていたのでスグ店に入ろうと小走りの体勢をとった時、目の前の老婆が声をかけてきた。
「お兄ちゃん」横浜駅でおばあさんに乗り場を尋ねられることもある、俺は常にそこまで声を掛けづらい雰囲気を出しているわけではないらしい。60過ぎだろうか、他人の年齢を当てるのは得意ではないがその頃だろう。「200円ない?」え?「200円・・・ないかな?」コンビニにトイレを借りに来たわけではないのでそのくらいは当然持ち合わせている。が、200円?なぜ?少し壊れかけた傘を杖のようにしつつ老婆は続ける、「今日は特別寒いでしょう。」「いつもはあるんだけど、今日は持ち合わせていなくて」
僕の頭にははじめ、コンビニに買い物に来たのだけれども小銭が足りなくなってしまったお婆さんというシュチュエーションが描かれていたが、どうも少し違うらしい。物乞い・・・?“社会人になり愛知に来てからでてきた年配者に対して取るには少し大柄な態度”で僕は老人に応えた。「200円くれって言う事?」「そう・・・いつもはあるんだけど、今日は特別寒いでしょう。」確かに今朝の新聞には冬将軍到来の文字が降雪を伝える富士浅間神社の写真と共に躍り、今日は日本列島を低気圧が覆っているとカーラジオがさっき言っていた。だがこの老婆は何だろう?僕は今日が特別寒い事には同意しつつも会話に違和感を覚えた。青いコートを着込み身なりはしっかりしている、髪に乱れはあるが老人とすれば許容範囲だろう。僕は200円と繰り返す老人に金の使いみちを尋ねた。食パンと卵は買ったが持ち合わせが無く牛乳を買う金が必要ならば、僕は200円を差し出しただろう。だが、老婆は答えない。その代わりに「仕事に出られなくて」「家はそこの交差点を曲がってどちらに進んで」「家族はいるが離れていて」などと続ける。
物乞われるなどという体験は初めてだったが、僕にはその老婆がこれを日々の行いのようにこなしているように感じられた。だが彼女が本当に困窮しているにせよ、ただ200円が欲しいにせよ、かわいそうな人には違いないのだから本来とやかく言わず黙って200円なり500円なり、喜捨すべきなのかもしれない。でも僕にはそれが凄くいけないことのように感じられた。嘘っぽさ。「何に使うの?」という問いかけに答えず「いつもはあるんだけれど」と繰り返す老婆から背徳心のようなものが感じ取れた。だからというわけではないが、コンビニの庇の下でしばらく沈黙した後に僕が老婆に向かって発した言葉は残酷だった。「誇りを、そんなに簡単に捨ててはいけない」そういって、僕は老婆に背を向けコンビニのドアを開けた。きっとその言葉は老婆にとっても僕にとっても何の意味も持たない。自分でも少し嫌になる頭の悪い選択だった。
同時にスーツを着た27~8歳の男が「おばあちゃん!」と声を上げて出てきた。男は微笑みながら暖かそうな缶コーヒーと小銭を、僕が切り捨てた老婆に渡した。僕は雑誌コーナーに立ち、ガラスを隔てて行われる好青年と老婆のやり取りを眺めていた。男は営業車であろう白のトヨタプロボックスの運転席に乗り込み、微笑みの痕を残した表情で去っていった。老婆はコンビニのドアを開け、陳列棚から商品を取るとレジを済ませ、カウンターでカレーカップヌードルの大盛りにお湯を注ぎ、その場で食べる準備を始めた。僕は飲み物を買い、車に乗り、店を去った。
どうするべきだったのだろうか?僕は。
老婆に対し、慈悲の心で臨めばよかったのか?
まさか200円が惜しかったわけではないだろうが、なぜ俺の心が嫌がったのか?
「簡単に誇りを捨ててはいけない」なんてどこから出てきた台詞だよ。
俺は人にそんな事いえるほど大そうな人間になったのか?
あの男は疑問を抱かなかったのか?
結局、老婆が何だったのかも僕にはわからない。ただ僕のほうが経済力があり、老婆は暖かい食べ物を欲しかった。そして、僕に声をかける前にも駐車場で営業マンを呼び止め「お兄ちゃん」と慈悲を求めたんだろう。「ちょっと小銭に崩してくるから」などと言われたのだろうか、どういった回答をもらったかわからないが、彼が店内に入った後続けて僕に声をかけていた事を考えるとそういったことに慣れている、施しを受ける事を日常にしている人なのか、とも思ってしまう。言い訳なのかもしれない。だけどあの時、僕が自分の心に背いて200円を渡していたら正しくそれは偽善だった。プライドを失って倒れかけた人間の上に乗っかって、顔を動かさず目線だけ下に向け、嘲るような、そんな行為に思えた。じゃあ僕は自分のプライドを守る為に?
本当に、僕にはわからない。他人の意見を聞きたい、それほど衝撃的だった。